三島由紀夫の思想を読んでいる。文学より先にそっちが来るとは思わなんだ。
死が生を実感させる唯一のものだ的な。まだ冒頭くらしいか読んでないけど。
ある程度近現代も人間は同じようなことで悩んでるんだなと、そして同じような問題意識を持ってるんだなと、文学の隆盛していた時代に片足を突っ込んでみて思った。
明日死ぬかもしれないし、明日も生きるという中で時は流れるのかもしれない。明日死ぬという確定条件の中で選択をして摂理的な死が来るのだろうか。いや、近現代は長寿信仰の文明だし、少しは長いスパンで動いてみたいものだけど。
いや、大きな1つの目的を前にしたら時間軸も生死も関係ないのかな。この本の"死ぬことを見つけたり"ってそういうことだったりしない?このためなら死ねるみたいな。
読み進めてみよう。
そういえば1つ自分の好きなところかもしれんやつ見つけた。超目的主義=Goal Orientedなところ。みんなそうなのかもしれないんだけど、見据えた目的のためなら最大限の取捨選択とルート策定してるし自分の傷も適度に厭わない強さもある。何よりそこに対して思考がフラット(人情は欠かないように気をつけたい)。
目的に独自性があるのか、そのルートや選択に独自性があるのか、何なんだろう。それとも単なる普遍的な人間の属性なのか。
何はさておき、目的を適切に設定する力ってのをつけないと全てあやふやになるよね。自分の底からの出力、今の継続だな。
元気だけど生活リズムの死が肌とか目のクマに現れてる。めちゃくちゃ活動できてるのは底力、ただし身体に悪そうだ。寝よう。
年末は1Q84と屍者の帝国と簿記とバイトの進捗カバーと箱根駅伝に捧げる、楽しみすぎる充実!(加えて本借りるじゃんやば……大忙し(ㅎ.ㅎ ))